ユダヤ人迫害と難民

杉原千畝氏が在カウナス日本領事館領事代理となった頃には、ユダヤ人に対するナチス・ドイツの迫害が激しくなっていました。このような状況下では、ドイツ占領下のポーランドをはじめ、ナチス・ドイツの影響の強い地域から逃れてきたユダヤ人にどのように対処するか、ということが国際的な問題となりました。日本もその例外ではありませんでした。 (4) は、松岡外務大臣が在サンフランシスコ総領事にあてて、昭和15年(1940年)7月26日に出した電報の一部です。この中では、ヨーロッパから日本経由でアメリカに渡るユダヤ人難民が、この月の13日横浜発の鎌倉丸という船に13名、22日発の氷川丸という船に77名あり、引き続き多数に上るであろう、と述べられています。このように、日本にもかなりの数のユダヤ人が逃れて来ていましたが、その多くは、日本を通過してさらに他の国に避難していきました。日本では、ユダヤ人に限らず、すべての外国人について、避難先の国の入国許可を得ていない者には通過ビザを発給しない、という方針を決めていました。

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